浜松製作所について
次の100年へ
高いクオリティを生み出す 「モノづくりの基本」を、
これからも
株式会社浜松製作所の前身は、大正13年に印刷機械の製作・修理を事業として創業した『浜松製作所』。
昭和20年から、紙面の光沢加工機メーカーのパイオニア的存在として、国内の大手印刷会社を中心とした印刷業界に”独自の光沢加工技術”で大きく貢献してきました。
日本においては、未開拓であった光沢加工技術をいち早く海外から取り入れ、独自の技術を開発。
お客様の様々なニーズに応える光沢加工機を手掛け、「光沢加工では、浜松製作所の名前を知らない人はいない」といわれるほどに成長いたしました。
私たちの機械は、そのほとんどがオーダーメイド製品となります。
というのも印刷クオリティーに関して厳しい目を持つ日本のお客様の様々なニーズに応えるには、幾度となく打ち合わせを重ね、カスタマイズしていかなければならないからです。
「他のメーカーと比較するとコスト的には高い」といわれることもございます。
しかし、ニーズに合った確かな技術と、トラブルが少なく安心して使用でき、安定したクオリティーを保てる機械を提供するという”モノづくりの基本”をきっちりと守り、メーカーとしての責任を果たしてきました。
「浜松製作所の機械を入れたおかげでクオリティーが上がり、受注件数が増えた」「浜松製作所の機械導入によって、作業効率がアップし、業績が伸びた」こういったお客様の声が私たちにとって、何よりも喜ばしいことであります。
今後もメーカーとして、創業当初より変わらぬ姿勢を貫くのはもちろん、この先もずっと継続していく会社にするために、「従業員同士協力しあってモノづくりができる会社」「楽しく自由な発想でモノを作り、お客様に喜んでもらえる会社」という目標を掲げました。
常に新しいものに目を向け、お客様に満足いいただける技術・製品開発に努めてまいります。
会社概要
会社名 | 株式会社浜松製作所 |
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設 立 | 平成10年9月11日 |
代表者 | 濱松幹子 |
資本金 | 金7,020万円 |
所在地 | 〒331-0059 埼玉県さいたま市西区水判土8 |
電話番号 | 048-625-8002 |
FAX番号 | 048-625-8005 |
営業内容 | 印刷関連機械の製造、修理、販売 |
アクセス
車でお越しの方
首都高速埼玉大宮線「与野IC」下車15分。
電車でお越しの方
JR大宮駅西口より西武バスに乗車。
「水判土」停留所下車、徒歩5分。
- 西武バス・指扇駅行(2番のりば)
- 西武バス・三条町経由二ツ宮行(1番のりば)
沿革
1924年- 大正13年 |
創業 印刷機械製作および修理工場として、濱松政治郎が浜松製作所を設立 |
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1945年- 昭和20年 |
北区において印刷修理と光沢機械製造、販売を目的に株式会社浜松製作所に改組 |
1964年- 昭和39年 |
東京都都知事賞を受賞 |
1972年- 昭和47年 |
各種機械発明により、勲四等瑞寶賞を受賞 |
1983年- 昭和58年 |
濱松弘造 社長就任 |
1990年- 平成2年 |
ラミネート用カッター(1枚刃)の世界特許を取得 |
1992年- 平成4年 |
ラミコートシステムの特許を取得 |
1998年- 平成10年 |
全日光沢加工組合の支援により株式会社ハママツを設立し旧会社技術を継承する 濱松秀子 社長就任、濱松弘造 会長就任 |
2008年- 平成20年 |
各種ラミネーター、ラミコートシステム、リバースコーター、等の最新技術の研究及び開発製造販売を行い、各種の特許を出願取得 |
2009年- 平成21年 |
濱松克嘉 社長就任 |
2012年- 平成24年 |
リバースコーター(枚葉紙塗装機、塗装方法)特許取得 |
2013年- 平成25年 |
彩の国工場に指定、さいたま市CSRチャレンジ企業に認定 |
2014年- 平成26年 |
さいたま市リーディングエッジ企業に認証 |
2015年- 平成27年 |
第4回渋沢栄一ビジネス大賞テクノロジー部門大賞を受賞 岩槻からさいたま市西区へ本社工場を移転 |
2020年- 令和2年 |
濱松幹子 社長就任 |
2024年- 令和6年 |
社名を浜松製作所に変更 |